Mission足立美都樹の幼少期

幼少期

スポーツが大好きだった子ども時代

愛知県一宮市生まれ。3人兄妹の末っ子でスポーツが大好きで負けず嫌いで活発な子どもだった。

様々なスポーツを経験し、母の勧めで16歳になる年にゴルフを始めた。のめり込んだ。

全国で1、2位を争うゴルフ部のある高校に進学したため、練習漬けの毎日だったが、幼いころからゴルフを習っていた人たちには到底敵わず、思うような成績は残せなかった。

それでもゴルフが大好き!

ゴルフ部主将 学生時代の学び

ゴルフがもっと上手くなりたくて、ゴルフで中京女子大学(現至学館)に進学。

ゴルフ部に入部し、ゴルフに明け暮れた学生時代を送った。

大学3年生の時にゴルフ部の主将になったが、我が強くて負けず嫌いの私が、個性豊かな部員たちをまとめることは容易なことではなかった。

とてもいい主将だったとは言えないが、人をまとめる事、部を牽引するということを学んだこの4年間は、自分が成長できた時間となった。

主将を務めた経験が大きな糧となり、今の私があることに間違いない。

Mission足立美都樹が日米大学対抗ゴルフ選手権に出場した際のスナップ写真

日米大学対抗ゴフル選手権

Mission足立美都樹がゴルファー憧れの地、ペブルビーチで尾崎直道プロのゴルフバックを担ぐ

ゴルファー憧れのペブルビーチにて

尾崎直道プロとの出会い

大学卒業後はクラブを置き、地元のラジオ局で事務職についたが性に合わず、転職するも数年で退職。これからの人生に悩んでいた頃、大学時代のゴルフ部顧問だった朝山正己先生から連絡をいただいた。

『America PGA Tour に参戦している尾崎直道プロが、名古屋の三好カントリーで行われる東海クラッシックでキャディを探している。』

このことが私の人生を変えることになった。

プロキャディ・マネージャー・トップアマの時代

尾崎直道プロのバッグを担いだのがきっかけで、2001年からツアーキャディとなり、再び私のゴルフ競技熱が目覚めることになった。

プロのツアーキャディをしながら学生時代に叶えられなかった日本アマチュア選手権大会や国民体育大会(愛知県代表)に出場した。目標をクリアしたらアマチュア競技はやめると決めていた。

目標を全て叶えた翌2005年、学生時代からの思い出が詰まった名古屋ゴルフ倶楽部(和合コース)で行われた『中日クラウンズ』で尾崎直道プロのバッグを担ぎ、プロキャディとして優勝することができた。

尾崎直道プロの一挙手一投足が今でも鮮明に蘇る。

同じ年、地元の先輩である桑原克典プロと一年間の帯同キャディとして契約。しかし試合中に転倒、大怪我でキャディが出来なくなったのをきっかけに、マネージャーとしてツアー帯同した。

『君はマネージャーも向いている。』

この言葉が、私の更なる転機となったのは言うまでもない。

◆桑原克典プロが私について記してくださった当時の記事はこちら。

Mission足立美都樹、アメリカPGAツアーチャンピオンズにマネージャー兼キャディとして尾崎直道プロに4年半帯同。

【上】アメリカ カリフォルニア州のペブルビーチ
【下】尊敬するボス 尾崎直道プロとペブルビーチにて

憧れのゲーリー・プレーヤー氏とMission足立美都樹、ペブルビーチにて

憧れのゲーリー・プレーヤーとペブルビーチにて

尾崎直道プロの会社に入社

2006年より本格的なマネージャーの仕事に就くために上京。尾崎直道プロの会社に入社し、マネージャー兼キャディでAmerica PGA Tour Championsに4年半スポット参戦した。

幾度となく失敗を重ねながらも、競技ゴルフ・大学時代のハウスキャディバイト・プロキャディ・アメリカツアー帯同・マネージャーといった現場経験から、調整力とコミュニケーション力の大切さ・楽しさ・難しさ・奥深さを学ぶことができた。

そして、2010年に結婚・出産。これを機に尾崎直道プロの会社を退職した。

結婚・出産、子育て、ママ友

子育て中心、ママ友中心の生活が東京で始まった。

男子ツアーにいた私がママ友たちと上手く付き合えるのだろうか・・・そんな不安を抱えていた。ところが、キャディとマネージャーという『人を支える立場』の仕事を通して、我が強く負けず嫌いだった私の『我』が、いつの間にか削ぎ落とされていたようだ。

子育てを通して得たママ友は『人生の宝』となった。

そして、自分の息子を育てていくうちに、親である私自身も成長しなければと痛感した。

自分に何ができるのか?そんな事を考えていた矢先、事は起こった。

Mission足立美都樹とママ友。最強で最高の宝。

ママ友は最強で最高の宝

Mission足立美都樹と心の友Ake

心友のAke

親友を越えた心の友との別れ

心友が亡くなった。53歳の若さだった。私より10歳上の彼女は、私が昔通っていた英会話教室の先生だった。

友として、女性として、先輩として、何より『人』として尊敬する友友の死・・・辛く悲しい出来事だった。

自問自答する日々が続いた。人生はいつか終わる。だったら自分はどんな人生を送りたいのか?

そして決めた!

好きな事で生きる!

地元の名古屋に帰郷し、再びゴルフ人生を始動した。

ゴルフを通じて出来ること すべて、ミッションのお仕事です!

ゴルフに出会って30年以上。

ゴルフを通じて沢山の『人』と出会い、素晴らしい『こと』を経験をさせてもらいました。

今度は私が恩返しをする番。

大好きなゴルフで『人』や『こと』のため、ミッション足立美都樹が全力を尽くします!